皿沼不動 永昌院

皿沼不動永昌院

荒川の北東に位置する皿沼の辺りは江戸時代は幕府直轄で舎人領と呼ばれていましたが、寛永二年(一六二五)東叡山寛永寺が創建された折、皿沼の一帯が寺領として寛永寺に寄進されると同時に、多くの寺院がこの辺りに次々と創建されました。
永昌院のはじまりも丁度その様な時期でした。当時は阿弥陀仏の念仏講を中心に発展していましたが、巷に成田不動の信仰がひろがった時期には講社を組んで成田山に詣で御前立不動明王を誓願したと伝えられています。
明治になり時の住持、晋ト和尚が不動尊の祈願を願って寺格の再興を図りました。晋ト和尚は後に天台宗寺門派に属して、二世令信和尚の代に千年の歴史と格式を誇る円満院門跡の寺中寺院となり今日に至っております。令信和尚はこの間、阿弥陀堂を再建し、併せて円満院より秘仏の地蔵尊の分霊を迎えるなど、諸霊安養の供養を日々営んで来ました。
近年、現在の永昌院三世「信央和尚」により、三心殿(現在の本堂)が竣工されましたが、この時、一代祈願を発して日本で最大級の不動明王像が勧請されました。欅材一本彫りのこの像は仏師宗護・基栄父子が渾身ののみを奮ったもので、六尺に余るお姿の偉容と、火焔を背にした恐ろしい忿怒の相で、信者の迷いや欲望、災難の種を焼きつくす有難いお不動様として日々、仏さまの教えを私達に説き続けています。
今日、毎日の勤行には願いごとや、心の迷いを抱えた善男善女が参詣し、紫煙の絶えることがありません。

関東三十六不動霊場   第二十五番札所
昭和の御世に開創された関東三十六不動霊場は発心の道場・大山不動尊から始まり、結願の道場・成田山に札を納めるという遠大な霊場であり、この永昌院は修業の道場・第二十五番札所になっています。
巡拝するということは、各札所の御本尊を拝しすることによって、自己の信心を堅固にすることです。
仏事は宗派に関係なく、告別式、年間法要、水子供養、諸霊供養なども気易くご相談できます。

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